本編10章後くらいまでの認識で、恋人同士のふたりのお話です。 ゼン視点でお話が進んでいきます。
子どもの頃とは違い、この歳になればもう“誕生日”を特別意識することはなくなったように思う。
幸いにも、いつだって祝いの言葉を寄越す人間がそれなりに居る環境に俺は在った。しかし、その言葉に次第に果たすべき責を感じるようになったのは、いつからだっただろうか。
ただおめでたいだけの日ではない。いや、むしろ自身の成長を振り返る日であるのかもしれない。――1月13日という日を、そんな風に俺が考えるようになってからもう久しい。
肝心の俺がこの調子なのだから、今年もまた特に何事もなく過ぎ去ってゆくだろうと――俺らしくもなく、そうは思わなかった。
その予感は年明け早々にファーレイの執務室で確信へと変わる。
「ゼン!……はい、ちょっと早いんだけど誕生日の前祝!」
「……なんだこの紙きれは。――前祝というからてっきり非の打ちどころのない企画書でも提出してくるかと思えば……」
「……企画書はまだ締切が先でしょ!?先に来るのはゼンの誕生日だもん」
彼女が俺へと手渡したのは、5枚1セットでホチキス留めされている紙切れだ。よくよく眺めてみると、柴犬のイラストが描かれたそれには『〇〇券』とだけ書かれている。5枚ともイラストに描かれた動物は変われども『〇〇券』という表記は変わらない。
これだけでは彼女の意図がさっぱり分からず、ひらひらとその綴りを揺らしながら俺は首を傾げた。
「……これじゃあ、メモ帳にもならないぞ」
「ちょ、ちょっと!これはメモ帳じゃないの!……もしかしてゼン、○○券って知らない?肩たたき券とか、お皿洗い券とか……」
「……おまえが何を言っているか、まったく理解できない」
「ゼンが知らないってことは誤算だった!……あのね、この○○券には○○の部分に好きな言葉を入れて使うの。例えばさっき言ったみたいに『肩たたき』券とかね?」
「肩は凝っていない」
「……例えば、だって!ゼンが私にしてもらいたいこととか、欲しいものとか、それを書いてくれたら私が用意するよ、っていう趣旨なの!」
ようやく彼女の言っていることの輪郭を掴めた俺は、ふむ、と顎に手を当てる。要は望むことを書けばいい、ということだ。5枚綴りになっているから、俺が彼女に叶えてもらえる願いは5つ。
よくもまあ、毎回突飛な発想に思い至れるものだ、と逆に感心する。
「……分かった?」
「ああ、……おまえが奇矯な発想の持ち主だということが改めて、な」
「私だって色々考えた末のお祝いなんだよ!……あなたに何が欲しいか?って聞いたところで、自分で欲しいものを手に入れることはきっと容易でしょ?……それじゃあ、いっそ“モノ”や“コト”に縛られずに望みを書いてもらうのはどうだろうって」
「おまえにしては頭を使ったというわけか」
「そう。……だから、遠慮なくゼンの望みを聞かせてね?」
欲しいものがあるか?と問われて、否、と答えることはないが、誰かにねだらずとも自分自身で手に入れることができるというのは彼女の推察通りだ。
だから、望みと言われてもすぐには浮かばない。しかしまあ、期待に満ちた眼差しを裏切るほど俺も野暮ではない。物は試しと、ペンを滑らせてみる。彼女の寄越した『〇〇券』にはご丁寧に望みを書く用に罫線も用意されていて、そこに収まるような字で書いたのは。
「……ほら、『非の打ちどころのない企画書を提出する券』だ。こういうことだろう?」
「待ってよ!使い方は合ってるけど、だめ!それは却下!面白くないよ!……できれば、私がゼンの誕生日に用意できて、一緒にお祝いできるようなものにしてよ……」
そう言われても、俺が一番最初に思いついた望みはこれなのだから仕方ない。望みを書いていい、と言いながら叶える側の注文が多いとは。
俺は仕方なく先ほどの券の紙面に、こう書き足した。これなら文句もあるまい。
「それじゃあ、こうだ。『何の憂いもなく二人で俺の誕生日を過ごせるように』と書き足してやる。そのためなら、企画書を提出することに意味を持たせられるだろう。……そして、おまえの一日を俺に捧げたらいい」
「……ぐっ……、書き方がずるいよ!それに、言われなくたってゼンのために誕生日の日は時間を費やすつもりだったのに……」
「他でもない俺が気がかりだからだ。諦めろ」
「分かったよ……。――ねえ、他には?まだ、あと4枚あるんだけど!」
渋々ながら1枚目の券の望みを叶えることを承諾した彼女は、諦めて次の願を俺に問う。――1枚目ですら捻りだしたというのに。俺は眉間に皺を寄せて、再びペンを握る。
望みや願いがすぐに思いつかないということは、即ち幸福ということなのしれない。少し前の俺―彼女に会う前の―ならば、願いは迷わず“彼女”を見つけ出すことだったはずだ。
しかし、それさえも叶った今、改めて俺の中の願いと言えば。――結局は、掴みのどころのないものになるのも致し方ない。
「ほら、書いたぞ。……『俺のことを楽しませる券』だ」
「……。どうしてそう抽象的なの?!」
「ぱっと思いつかないところにおまえが急かすからだ。……13日は終日おまえの時間をもらってやるから、俺を楽しませてみろ」
「だから、何をしたら、とか書いてくれたっていいじゃない!」
「おまえ自身が考えることに何より意味がある。……安心しろ、期待値は元々高くない。どんなもてなしをされても、それなりに喜んでやる」
その言葉に偽りはなかった。彼女が何を考えて俺を祝ったとしても、俺が望むものはその過程にこそ意味がある。
今、それをねだるのは、贅沢なことかもしれないが、俺の胸のうちは彼女に比べれば随分と長い歳月を“彼女のこと”が占めていたのだから、この数日間くらいはそれをねだったって罰は当たらないと判じて。
「……そんなこと言うなら、いいよ!ゼンが感動しちゃうくらいのお祝いにするんだから!……でも、あとひとつだけ!食べたいものだけ書いてよ……」
「……おい、まだあるのか……。おまえが作るのに、俺のリクエストに応えられるのか?」
「善処するもん!」
「それじゃあ、たまにはおまえが作ってみろ」
いい加減、彼女とのこのやりとりに辟易し始めた俺は、適当に『プリン券』と書いて彼女に渡した。並ぶ文字を見た途端に不満そうな顔をした彼女の薄桃に色づく唇が開きかけたのを見遣り、すかさず俺は口を挟んだ。
「俺の願いを叶える券だ、文句はないだろう?……充分おまえに付き合ってやったんだから、まずはその3枚からだ。――そろそろ会議だから俺は行くぞ」
「……わかったよ……」
未だ口を尖らせたままの彼女を伴ってオフィスを出た俺の口端は僅かに上がっていたことだろう。
――さて、彼女は何を以て俺を楽しませてくれるのか。俺も俺で、早速13日の予定をケンに確認させておくことにしよう。
* * *
俺の一つ目の望み通り、二日前に彼女が提出した企画書は及第点。彼女にしては細かいところも気を配って作り上げたと分かる出来だったから、修正はあえて後回しにしてやった。
そして、1月13日当日。
どこかへ連れていかれることも覚悟していたが、場所は俺の自宅でいい、という。その代わりキッチンを貸せ、とのことで、早速そちらからはガチャンガチャンと、とても料理にはそぐわない音が響いている。
出来上がるまでは立ち入り禁止にされているので、俺に出来ることと言えば、黙って座って待っているしかない。
「……プリンだぞ?――まさか型から作っている訳でもないだろうに、何だあの音は……」
――あの音を聞いていながら落ち着いていられるはずもなく。立ったり座ったりを繰り返し、最終的に室内を落ち着きなく歩き回って数周したところでようやく「できた!」の声が聞こえてきた。
堪らずに俺は、エプロン姿の彼女の背に入っていいか、と尋ねると「あとは並べるだけだからいいよ!」と許可が下りた。
食卓に並ぶのはサラダやキッシュ、牛肉の赤ワイン煮込みなど。どうやらプリンだけを作っていたのではないと知って合点がいくも、それにしたって響かせていたのはあの音だ。
「……すごい音をさせていたが、食べられるものなんだろうな?」
「だ、大丈夫だよ!ちゃんと味見もしたし、練習もしてきたから」
「ほう。……練習期間はどれくらいだ?」
「…………黙秘します!それより、待たせちゃったでしょ?早速食べようよ」
これが『俺をハラハラさせる』という趣旨であれば、すんなり達成されているだろうな、と小さな笑い声が漏れると、バカにされたと勘違いしたのか「大丈夫だから、食べて!」と彼女が食事を取り分けた皿を俺に押し付けた。
「……見た目は悪くない」
「味も悪くないよ!!」
期待と少しの不安と、滲んだ瞳に見つめられながら俺はフォークを口元へと運んだ――。
――……
彼女の言う通り、食事は少し大味気味だったが下手に冒険しないレシピのお陰だろう、恙なく終えることができた。
悪くない、と食事の感想を告げると、たちまち彼女の中の不安の色は吹き飛んで、喜色に溢れる瞳を文句も言わずに見つめるのもたまにはいい。そう口には出さずとも、取り繕うことをすっかり忘れて緩む俺の口元が雄弁に語っている。
「結構お腹いっぱいになっちゃったけど、メインはこれからなんだよね~!」
「……これから、プリンか……。おまえの食べ方に倣っていると胃もたれを起こしそうだ」
「ゼンが食べたいって言ったんでしょ?……ケーキの代わりだと思って、ちょっと豪華にしたんだから、絶対食べてよね?」
そう言って冷蔵庫から運んできたのは、高さが10㎝ほどある随分と大きなプリンだった。ご丁寧にクリームやフルーツでトッピングされている上に、ロウソクも刺さっている。ケーキの代わりと言えば、そうなのだが。
「……大きすぎる……」
「ええ?!誕生日なんだから普通のプリンじゃつまらないじゃない。ほら、ロウソクに火を点けて!」
「…………」
「――……ふふ、ようやく言えるよ。ゼン、お誕生日おめでとう!」
言われるがまま、ケーキよろしく立てられたロウソクにゆらめく小さな灯を吹き消せば、彼女一人分の小さな拍手の音が響いた。
「どう?お望み通りのプリンだよ?」
「……何事にも適度というものがあるが、おまえを司るそれは壊れているのか?」
「……気に入らなかった?」
「気に入らない、とは言ってない。……これで二つ、だな」
こうして俺の二つの望みは叶えられたことになるが、彼女の落ち着かない様子から見るに、一番抽象的な望みのことを気にかけているらしい。おずおずと傍らに用意してあった紙袋からラッピングされた包みを数個、テーブルの上に並べた。
「ゼンを楽しませる、っていうのが難しくて。どうしたら喜んでもらえるだろう、って考えながら今日の夕食のメニューを選んだし、プリンも作った。でも、プレゼントだけは段々どうしたらいいか、分からなくなっちゃって……」
「それは全て俺宛てのものか?」
「もちろん。……気に入らなかったら、捨ててもいいよ」
「おまえが選んだものだ、どんなガラクタだったとしても捨てることはしない。――……おまえは気付いていないだろうが、俺はここまで『楽しませて』もらった。本当に欲しいものが手に入った、と感じるくらいにな」
「ゼンの本当に欲しいもの……?」
あの時、彼女に急かされて書き記した俺が望んでいるもの。
俺を『楽しませる』ために、彼女が俺のことを考えていたその時間を俺は何よりも欲していた。俺の事を考えて選んだメニュー、そのメニューの練習時間に、プレゼント。それから、作られた大きすぎるプリンもだ。俺と顔を合わせない日であっても、その全ての時間、彼女の胸のなかを俺という存在で占めてしまいたい。せめて、今日という日を迎えるまでの数日間でもいいから、と。
「……強いて言うならおまえの“時間”というところだ」
「時間?……今日はゼンに捧げてるけど……」
「今日だけじゃない。おまえは俺のために、どれだけの時間をかけた?」
「…………え、っと……」
「どれだけの時間を費やしたか、俺は知らない。ただ、その分だけおまえの時間を俺が独占していたということは分かる。――それだけで、充分だ、と思った」
「…………ゼンってば、変なの……」
頬を染めた彼女を満足気に笑むと、俺は早速彼女が用意したプレゼントに手を伸ばした。まずは、一番小さなもの、とハガキくらいの大きさの小箱にかかるワインレッドのリボンを解こうとしたところに、彼女の手が止めた。
「こ、これは!最後!!むしろ、私が帰ってから開けるの!」
「…………何故だ」
「いいから!ねえ、こっちを開けよう?……ネクタイも色々悩んだんだよ?」
――……
彼女からのプレゼントはネクタイとボールペン、それから柴犬のぬいぐるみ。俺の部屋を犬まみれにする気か、と言えば取り上げられそうになったので、慌てて取り返した。
しかしながら、賑やかだったのもプリンを含めた食事が終わる頃まで。いやに静かだなと思ったら、俺が食器を片してる間にソファーで彼女はうたた寝していた。彼女の口ぶりからすれば相当、準備に時間をかけたらしいし、その疲労がここに来て出るのも妥当か。
ブランケットを身体に掛けてやると僅かに身じろぐも起きる気配はない。
その隙に、俺は先ほど開けられなかった最後の小箱に手をかけた。
小箱かと思われたそれは、分厚い本で2冊並んで包まれていた。どうやら、メモ帳のようにも見えるそれは普通の本ではないらしい。
――タイトル通りに読めば、相手の好きなところを100個書き連ねていくものと、相手としたいことを100個書き連ねていくもの、らしい。
ぱらぱらと開けば、彼女の字でそれぞれのページにはしっかりと文字が書かれているも、妙に気恥ずかしい気持ちがこみ上げてゆっくりとページを捲ってはいられない。
「優しいところ」「バカって言うけど、見捨てないところ」「作ってくれるプリンが世界一美味しいところ」「実は可愛いものが好きなところ」「睫毛が長い」「瞳の色が綺麗」
この調子で100ページ全てに書き込んでいたとしたら。
彼女がこれを書き出すのに費やした時間は、紛れもなく俺が望んでいたものになっただろう。
「……バカだな」
そう呟きを落として、顔にかかる彼女の髪の毛を払う。
このまま揺り動かしたところで、この調子では彼女は朝まで起きないかもしれない。
今すぐ抱き締めてやりたいという人の衝動も知らずに。
――今日のところは贈られた本で、勘弁してやろう。
そして翌朝、まだ使い道を決められなかった『〇〇券』を渡してやるのだ。
『来年も、この先も、俺の誕生日を祝う券』と書いて、な。
なにせ、この券には有効期限が書かれていないのだから。
いつ、どんな風に使おうと俺の勝手だろう?

