しあわせの箱

written by ほたて

ネタバレ: ネタバレなし

初心者向け、との触れ込みは一体なんだったのだろう。決して広くないキッチンの作業スペースにはケーキになるはずだったものが2つ並んでいる。ぺしゃんこにつぶれたそれは、甘い香りだけを放っていた。大晦日も元日も関係なく飛び回っていた彼の誕生日。わたしとゼンが一緒にいる時間が少ないことに気を利かせたケンさんが無理やり午後からオフを入れたとか。ゼンは一喝したらしいけれど、あまりに休みなく働いていたものだから説き伏せられたらしい。そんなわけで一緒に過ごせる、わけだけれども。 サプライズのケーキは、ネットで調べたレシピ通りに作ってみたものの、失敗の連続だ。

「ゼンに聞いたら、すぐに解決するんだろうな」

辛辣な言葉ばかり並べるくせに、彼が作るスイーツはとてもやさしい味だ。Souvenirのマスターだから当然といえば当然なのだけど。仏頂面で少し笑っただけでファーレイに激震が走ってしまうゼンからは想像できない、繊細で複雑な美味しいものを作り出す魔法の手。その手にかかればバースデーケーキなんてものはいとも簡単に作り出せてしまうだろう。

『そろそろ着く』

連絡をもらってからできたのは、部屋の装飾の仕上げだけ。サプライズにしてはいささか……いや、かなり、弱い。キッチンをざっと片付けると、彼の到着を待った。

「なんだこれは?」

部屋の中に入った途端怪訝な顔をしたゼンが想像通りすぎて思わず笑ってしまう。ピンクのHAPPY BIHTHDAYの風船が揺れるリビング。今までふたりで訪れた場所で撮った写真を壁一面に飾った。彼がこの世に生を受けたこの日を、この先も一緒に過ごせますように、という願いを込めて。

「お気に召さなかった?」

「いや……それよりも」

ゼンの視線は明らかにキッチンに向けられている。彼のことだ、きっとわたしがサプライズでケーキを作ろうとしていたことくらいお見通しなのだろう。

「ずいぶんと張り切っていたようだな」

「う……」

彼に言い当てられるより先に白状してしまおうと思った矢先にこれだ。わたしの考えをそこまで先読みしていた、とは思いたくないけれど。

「それで、うまくできたのか?」

「初心者向けって書いてあったから、簡単だと思ったんだけど……」

「菓子はきちんと計量しレシピに忠実に作らないと失敗する。おまえのことだから、適当にやったんだろう」

「そんなことない、と、思う……」

「どうだか」

ゼンは皮肉めいた笑いを残してキッチンへ向かう。慌ててその後を追いかけた。

「どのレシピだ?」

「まさか、ゼンが作るの?」

「いや……」

言い淀む彼は珍しい。驚きで思わず瞬きを繰り返す。その後彼が紡いだのはもっと予想できない言葉だった。

「ふたりで作らないか?」

彼が指示する通りに計量して、ふるいにかける。ただそれだけのことなのに、胸が高鳴った。彼がキッチンにいるときは邪魔をしない、それが今までのわたしたちの暗黙の了解で。こうして同じキッチンで、まして彼がわたしに教えるような日が来るなんて思いもしなかったのだ。

「楽しそうだな」

「そりゃあね、楽しいよ。ゼンと初めての共同作業だもん」

しまった!と思う。初めての共同作業、なんて、まるで……

「手が止まっている。しっかり泡立てないとまた失敗するぞ」

「……はーい」

言われた通りに泡立て器を動かしながら彼の様子を伺う。ゼンは特に気にした様子はなさそうだ。ほっと胸をなでおろす。カシャカシャと生地を混ぜる音だけが、ふたりきりのキッチンの中に響く。

「そろそろいい?」

「もう少しだ」

「えー……腕がパンパンなんだけど」

「この程度でか」

言いながらわたしの手から泡立て器を取り上げる。慣れた手つきでかき混ぜられていく生地は、だんだんとツヤを帯びていった。クリーム色だったそれはだんだん黄みがましていく。もうこれだけでおいしそうだ。

「予熱はしたのか?」

「う、うん」

流れるように生地を型に流す様も、とんとん、と少し高いところから型を落とす様も。何もかもが絵になりすぎている、と思う。彼に目を奪われている間に、型に入れられた「ケーキになるはずのもの」はあたためられたオーブンの中へ吸い込まれていく。 わたしは祈るように手を合わせた。

「……何の真似だ」

「うまくいきますように、ってお祈り」

「おまえと俺のふたりで作ったんだ。失敗するはずなどない」

「うん」

ともすればにやけてしまいそうな頬を抑えて彼を見つめる。洗い物をしていた彼はわたしの視線に気づくとすぐ眉間にしわを寄せた。

「暇なら手伝え」

「はーい」

本日の主役になんてことをさせてしまったんだろう、と思ったけれど。狭いキッチンで一緒にケーキを作るのは思った以上に楽しくて。

「ねえ、また一緒に何か作りたい」

「構わないが今度は何を作るんだ?」

「プリン!」

「プリンだけは得意だと言ってなかったか?」

だってあなたが作るプリンの方がおいしいから……言いかけた言葉を飲み込むと、少し背伸びをして彼の唇を奪った。

「……意地悪ばかり言う口を塞いでみました」

「おまえも少しは成長したようだな」

些細なことも、そうでないことも ずっとずっと一緒に時間を重ねていきたい、と思うほどに、わたしはゼンのことが、好きなのだーー

HAPPY BIRTHDAY ZEN !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!